FUJIYAMA SOUND インタビュー | TO DI WORLD -世界で活躍する日本人-

今年で結成25周年、レゲエシーンにおける「日本一高い山」としての地位を確立しつつあるFUJIYAMA SOUND。2017年には世界最高峰と言われるサウンドクラッシュ「WORLD CLASH」への出場を果たし、今では国内のみならず世界にもその名を轟かせているサウンドだ。

今回インタビューに応じてくれたACURADJ KIDDはレゲエの本場ジャマイカでの数年間に渡る長期生活を経験し、近年ではアメリカ、カナダ、ヨーロッパなどへも渡りグローバルな活躍を見せている。

愛知県三河から世界へ飛び出し名実ともに日本を代表するサウンドとなった彼らから、今回は「TO DI WORLD」をテーマに海外での活動にフォーカスして話を聞かせてもらった。

自分が一番尊敬するセレクターの所に行こうって決めた

– BUZZLE MAGAZINE(以下BM):それではまず、お二人は長い間ジャマイカ住まれてたイメージがあるんですが、当時は何歳ぐらいだったんですか?

ACURA:自分は25歳の時、2007年に向こうに住みだして、KIDDはいつだっけ?

KIDD:翌年だね、2008年かな。

ACURA:そのままジャマイカに住み始めて、一回日本に帰ってるんだけど合わせて4, 5年ぐらいはいたかな。

– BM:ジャマイカに行くことになるキッカケはあったんですか?

ACURA:当時からやっぱり海外で挑戦したいっていうのがあって、だったら行くしかないでしょ!って。
当時、オゼッキーくんっていうFUJIYAMAのファウンダー(創立者)がジャマイカにずっと住んでたから連絡して。ニューヨークとか他の国も迷ったんだけど、ジャマイカの方がいいんじゃないって言うのを勧められて、まずは一年住む予定でシャマイカに決めた感じだね。

– BM:まずは短期間で行ってみようとかではなくて、最初から長く住むことを選んで行ってしまう行動力がすごいですね。

ACURA:そこもオゼッキーくんが、ただ来るだけだとすぐ時間が経つだけだからって言う話をしてくれて。じゃあもう単純に、自分が一番尊敬するセレクターの所に行こうって決めたんだよね。BASS ODYSSEYの*SQUINGYが当時まだ生きてたから、My Spaceって言う当時のソーシャルメディアで連絡したら電話番号送ってきてくれて。それを頼りに行って、行ったその日に住むとこ決めて、その一週間後には移り住んで生活してたね。
俺は一年で一回日本に帰ったんだけど、そのタイミングで入れ替わる感じでKIDDがジャマイカに行ったんだよね。

KIDD:そうだね。もともと俺はレコードでファンデーションばっかりやってたんだけど、当時FUJIYAMAのメインセレクターをやってたHIROSHIくんが辞めたタイミングで俺がメインセレクターになって、ACURAとコンビになって一年ぐらいしたら、ACURAが先にジャマイカ行くっていう事になった。俺も長期で住みたかったからその次の年に*ワークパーミットを取得して日本食レストランで働き出したんだけど一ヵ月半でクビになっちゃって(笑)

– BM:一ヵ月半でいきなりピンチですね(笑)

KIDD:まあその後に違うとこを探したら運よく見つかって、そこからキングストンに2年ぐらい住んでたかな。その間にビザの関係でマイアミにちょっと行ったりとか、それからカナダにも行って半年住んでた。

ACURA:25から30歳ぐらいまでは、意地でも帰らないっていうぐらいの勢いでやってたね(笑)


*SQUINGY… ジャマイカを代表するビッグサウンドBASS ODYSSEYに所属していた伝説のセレクター。2009年に他界している。
*ワークパーミット… 外国人が現地で就労するために政府から発行される許可証。

いい波だったんじゃないかな、上手く重なったというか

– BM:ジャマイカに住み始めてすぐに現地でプレイもしていたんですか?

ACURA:うん、毎週やってた時もある。元々、DOUBLE J INTERNATIONALのPEAVEYがプレイしてたデナンタウンっていう*ティボリガーデンの横にある街のBARの前の道でやったりとか。そこにはRIO(KING LIFE STAR)もいたね。

KIDD:そうだね。毎週金曜日に、アキラくんがいない時は俺とRIOが一緒に毎週回してたりとか。

*ティボリガーデン… 通称”ドドス”ことクリストファー・コーク(ジャマイカの麻薬王とも言われるギャングのボス)のテリトリーだった超ゲットーエリア。ドドスはアメリカから身柄の引き渡しを要求され2010年に逮捕されている。

– BM:RIOさんとも一緒だったんですね。お二人と同時期にジャマイカに長期で住んでいる日本人の方は他にもいましたか?

ACURA:同じ世代だとBAD GYAL MARIE(NOTORIOUS INT.)、PANCHO (TURTLE MAN’S CLUB)、GACHA (MEDZ MUSIC)、RIOと、俺らかな。

KIDD:その後CHEHONも住み出したね。

– BM:今も最前線で活躍されてる方ばかりのすごいメンバーですね。

ACURA:いい波だったんじゃないかな、上手く重なったというか。それが2010年だったと思う。2008年に俺が移り住んで、2009年に一回日本に帰って、2010年にまた戻ったんだよね。

– BM:2010年からは、ジャマイカでもFUJIYAMAとして二人での活動も出来るようになったってことですね。一人の時とは動き方だったりプレイする場所も変わりましたか?

ACURA:ローカルでの動きもしてたけど、2009年にSQUINGYが亡くなって、その流れで2010年にBASS ODYSSEYのSOUND FESTの元になったダンスをメモリアルでやる時に呼んでもらって、大きなところでプレイしたのはそれが初めてかな。


めちゃくちゃ回ったね、訳分かんないくらい

– BM:日本での活動を再開したのはいつ頃からだったんですか?

ACURA:2012年に、KIDDはカナダにいて俺はジャマイカにいたんだけど、そろそろ日本に行くか!ってなって、KIDDは本帰国、俺は一時帰国って形でその夏にDO ROAD TOURっていう名前のツアーをやった時からかな。

– BM:DO ROAD TOURはかなり話題になったし印象に残っています。日本各地を回られてましたよね。

ACURA:めちゃくちゃ回ったね、訳分かんないくらい(笑)2ヵ月半で30ヶ所ぐらい行ったかな。11日連続とかあったからね。

– BM:超ハードスケジュールですね。何年も日本にいなかったのに、帰国してすぐにそれだけブッキングが入るっていうのがすごいですね。

ACURA:ジャマイカに住む前から日本でお世話になっていたプロモーターの人たちもいたし、もちろんジャマイカでリンクした人だったりとかも、多くの人のおかげでそれだけ回れることが出来た。

– BM:当時はインスタグラムなどのSNSも今ほどは浸透してなかったと思うんですけど、それだけ注目を集めることが出来ていたのはなぜだったんでしょうか?

ACURA:ジャマイカにいたからどう日本にアピールするかっていうのもずっと考えてて、そのひとつが*Ustream。当時やってたFUJIYAMA TVっていう番組で興味持ってくれてる人も多かった。もうひとつは、ライブ音源だったりMIX CDだったりとかね。

*Ustream・・・当時流行していたライブ動画配信メディア。2017年に売却され、現在はサービスが終了している。

明らかに世界からの認知度が変わった

– BM:ここ数年はジャマイカ以外にもいろんな国に行かれてますが、いつ頃から海外のイベントにも声が掛かるようになったんですか?

ACURA:2016年のJAPAN RUMBLEで勝って、2017年に*WORLD CLASHに出るキップを掴むんだけど、その辺りから明らかに世界からの認知度が変わった気がする。それまではジャマイカのローカルでプレイしてもフェスに出ても知る人ぞ知るっていう感じだったんだけど、WORLD CLASHに出てから注目度の違いっていうのを自分たちも感じたかな。WORLD CLASHってこんなに世界から注目されてるんだって。

– BM:やっぱりそこが大きなキッカケになってるんですね。先月もジャマイカだけじゃなく何カ国も回られてたようですが。

ACURA:今回は3月の頭からニューヨーク行って、ジャマイカ行って、バミューダ行って、またニューヨークに行って、日本に帰ってきた。
年々、海外に行くことが仕事になってきたね。営業、DUB録り、他にやることも増えたし。始めた頃、こういう風になれたらいいなって思ってたことが徐々に実現してきてるかな。まあ、まだまだ理想とは違うけど、もっと色んな国や場所でプレイしたいね。

– BM:海外のイベントへのブッキングはプロモーターから直接連絡が来るんですか?

ACURA:うん。WORLD CLASH後からバンバン来る。
ダンスの依頼はもちろんだけど、「マネージャーをやらせてくれ。」とか、「DUBを録ってくれ。」とか、サウンドマンから「クラッシュやろうぜ。」とかも来るね。
2018年からそのオファーを受けるようになって、ニューヨークで『GLOBAL CLASH』に出たり、ドイツで『WHO RUN DI WORLD』に出たりとか。それで、引き続き今年もいろんな所に行けてるって感じかな。でも、国で言ったらジャマイカ、カナダ、アメリカ、ドイツ、バミューダで、日本入れてもまだ6カ国しか行ってないし、世界は広いよね。

*WORLD CLASH… アメリカのプロモーターIRISH AND CHINが主催する、世界最高峰と言われているサウンドクラッシュ。

5分もプレイさせてもらえなくて変わったこともある

– BM:海外ならではの大変なことっていうのは、どんなことがありますか?

ACURA:最近は無くなったけど、昔はフラップしたらすぐ変わんなきゃいけなかった事かな。5分もプレイさせてもらえなくて変わったこともあるし。お客さんの流れとか、現場の空気感が読めなくてギャルに怒られたりとか。でもそういうことがあったから、どういう風にしてかなきゃいけないとかっていうのは学んだね。

あとは、移動(笑)

– BM:確かに世界中回ると移動だけでも相当大変ですよね。

KIDD:あとは、単純にブースが高かったりとかね。色んなシチュエーションがあるから、特にジャマイカは斜めになってたりとか(笑)

ACURA:機材全部がスムーズに動くっていうのが当たり前じゃないからね。特に昔のジャマイカはトラブルが多かった(笑)

– BM:さすがジャマイカですね(笑)

いい時はみんな「よかったよ!」って素直に言ってくれる

– BM:世界的にみるとレゲエの業界にアジア人は少ないと思うんですが、差別を受けてやりにくかったりもありますか?

ACURA:ジャマイカだったり、ジャマイカ移民がいるところでやる時は、「なんだよCHINが来やがって。」みたいなアンダーレート(過小評価)から始まる事が多いけど、それは俺らからすると逆に好都合。見とけよこのヤロウみたいな、どう返してやろうかっていう感じから入れるから。



- BM:そこまで嫌な思いをするっていう訳でもないんですね。

ACURA:すげー嫌だなって思ったことはまだないかな。見下されてんなーとか思う事はよくあるけど、だけどプレイしてBUSSるとお酒買ってくれたりとかするんだよね。

KIDD:逆にダメだったら喋ってもくれないけどね(笑)

ACURA:フラップした時は露骨にキツイね。いい時はみんな「よかったよ!」って素直に言ってくれるんだけど、フラップした時は誰も話しかけてくれない。そういう時は早々と現場を後にするね(笑)これは海外でやってる人は誰しもが経験してることだと思うけど。

自分で感動しちゃうぐらいの光景を見れる

– BM:海外でプレイする楽しさはどんなところですか?

ACURA:やっぱりBUSSった時の気持ち良さは、何にも変えられない!
MCと曲がハマった時に起こる地鳴りみたいなBUSS。そうゆうクラウドコントロールを経験しちゃうとやっぱ海外って面白いなって思う。もちろんそれは日本でも起こりえる事なんだけど、海外は曲が現場にいる人たちの生活に日本より近いから尚更爆発すると言うか、ズッドーン!!みたいな感覚だよね。あれを味わっちゃうと、やめれねーなー!ってなるね。いくらフラップしても(笑)

KIDD:やってる本人なんだけど、自分で感動しちゃうぐらいの光景を見れる。やっててよかったなって思える瞬間を味わえるね。

間違いじゃなかったなって今になって思える

– BM:それぞれ国のパーティーでは違いもありそうですね。

ACURA:もちろんあるよ。まあ、基本的にはウケる曲だよね。

– BM:やっぱりそこも違うんですね。逆に共通しているところはありますか?

ACURA:DUB PLATEかな。やっぱりオリジナリティを出せるから、そこで自分たちを認めてくれるっていう人も多い。

KIDD:「あの曲かけてくれよ。」っていうのもあるしね。マイアミ行った時はちょうどWORLD CLASH前の時期だったんだけど、俺たちが出るのも知ってたから、「フレッシュなDUB聴かせろ!」とかね。

– BM:世界中どこに行っても自分たちのスタイルやオリジナリティが認められるってすごいですね。

ACURA:俺たちも単純だから、ジャマイカ発信の音楽だからジャマイカでプレイ出来れば世界中でプレイ出来るって思ってたんだよね。パトワとか音楽センスとかも、ジャマイカで学べばいいと思ってた。それで結果、ジャマイカに行ってこれでしょ!って思ってやってきたことは、間違いじゃなかったなって今になって思えるかな。

– BM:ジャマイカでの経験が、今のFUJIYAMAのスタイルのベースになってるんですね。

ACURA:この音楽のルーツはやっぱり日本じゃなくてジャマイカだから、そこで学ぶってことは大事だと思う。そこを無視すると別物になってしまう気がするから。
それを元に日本でやるのはもちろん良いんだけど、俺らの音楽ベースはジャマイカで、それは崩しちゃダメだなってKIDDともよく喋ってる。世界中どこに行ってもジャマイカを感じさせられるプレイをしたいといつも思ってるね。

– BM:他の国とは違うジャマイカの魅力は何ですか?

ACURA:世界的に見ても凄く小さい島国の音楽が世界を魅了してて、全く文化が違う日本でも毎日聴いてる人が沢山いる。ヨーロッパでもそうだし。ジャマイカの移民が大勢いるわけじゃない国でもこの音楽が人々を魅了し続けているっていうパワーの源はやっぱりジャマイカにある。そこが発信源であることは昔から今までずーーっと変わらないこと。だから、あの国に行きたくなっちゃうし、あの国に行くと元気が出ちゃうよね。FUJIYAMA SOUNDにとっては、ほんとに第二の故郷みたいなところ。

とにかく一歩踏み出せば次にも繋がる

– BM:海外に出た時、日本人としての強みになる部分はありますか?

ACURA:そこは日本人としての自信だと思う。
世界に出てみると分かるけど、良くも悪くも日本人ってほんとにしっかりした人種だから。郷に入ったら郷に従うことも大事だと思うけど、日本人としての良さだったりプライドだったりは忘れちゃいけないと思う。それが強みになる。違うジャンルの人たちを見てても日本人って凄いと思わない?

– BM:確かにスポーツだったり、どんな分野でも活躍してる人は多いですね。

ACURA:だから自分達も日本人なんだって思ったら、やれちゃうんじゃない?って。まあこれも変な話なんだけど(笑)でも本当に、思い込みって人を動かすには大事だと思うんだよね。

KIDD:そうだね。俺はイケてる!って思ってプレイするのもすごい大切だと思うし。

ACURA:ステージに立ったら胸張って、「なんだこいつ!?」って思わせなきゃダメだし、それもやっぱり自信がないと出来ないよね。下向いてMCしてたら、「変われ!」とか言われちゃうから(笑)

KIDD:自信持ってとにかく一歩踏み出せば次にも繋がる。ジャマイカ行ったら黒人しかいないし、初めてやった時なんて手が震えるぐらいの感覚だったんだよね。それを超えて、自信を付ければやれるようになるから。

ACURA:生きてれば大小構わず色んな壁が立ちはだかってくるから、それを超えるには、やってやるぜ!って気持ちが大事だよね。

”海外に行きたい”っていう気持ちに迷う必要はない

– BM:海外に出てみようかと迷ってる若い人たちも多いと思うんですが、何かメッセージをいただけますか?

ACURA:迷う時間がもったいないから、行きたいなって思ってるんだったらすぐにでも行くべきだと思う。
音楽的な面はもちろんだけど 努力し続けたらその経験が違う仕事にも生きてきたりもするから。自分は音楽目線でしか話せないけど、”海外に行きたい”っていう気持ちに迷う必要はないと思う。外に出ると日本の見え方も違ってくるし、日本の良さにも気付いたりする。色々あるけどなんとかなるからね、ほんとに。もちろん嫌な目にはいっぱい遭うけど、それを越す良いことが巡ってくるというか。

KIDD:俺は、外に出るのは早ければ早いほどいいかなと思う。感受性だったりとか、やっぱり歳を重ねると気持ちだったり、若い時に比べると身動き取れなくなるっていうのはあるし。

ACURA:一つ注意点は、海外は調子に乗らせてくるっていうのがある(笑)若いとすぐ調子に乗っちゃうから。俺もそうだったけど、よく先輩に怒られたよ。

KIDD:そうだね(笑)海外にいる自分に酔っちゃうみたいな。

ACURA:酔ったもん負け(笑)でも、プレイしてる時は酔ったもん勝ちだけどね。

FUJIYAMA SOUND プロフィール

1994年に愛知県は三河にてUru(deejay)・Ruff(mc)・Aki(selector)が『FUJIYAMA The Earthly Vibes』を結成。
地元を中心に活動を続けるうちにDeeJayやSelectorが集まり仲間が増え、1997年に初代SOUND SYSTEMを製作。 本場JAMAICAの野外DANCEに衝撃を受け試行錯誤の中、初めて製作した初代SOUND SYSTEMは見た目も音もクオリティーが高かったとは言えないが、Tuffな音を出し、野外DANCEが殆どなかったこの時代に田舎の音楽文化の基盤を創る上で十分な働きをした。

その後、2003年にSOUND SYSTEMをフルリニューアル。
この歴史あるSOUND SYSTEMが一番活躍しているのが1998年から今も続く野外DANCE「やすらげん」である。

25年という長い歴史の中で世代交代や新加入もあり現在の中心メンバーはAcura(mc/selector), Kidd(selector), Stronger(mc/selector), Stamp(mc/selector), Kully(engineer), そして、全てのFUJIYAMA Familyで成り立っている。

AcuraとKiddは2008年より本格的に活動拠点をJAMAICAへ移し現地で活動を続け、数々の世界的BIG SOUNDと共演したり、田舎を中心にLocalのDanceに出演。その模様はLIVE CD「LIVE & LIVE」シリーズで確認する事が出来る。

2012年夏AcuraとKiddは長期JAMAICA生活を終え日本に帰国し『FUJIYAMA DO ROAD TOUR 2012』を敢行!
「やすらげん」を筆頭に2ヶ月半で全国30カ所以上を周り、その存在感あるPlayで一気に全国に名を轟かせた。
2015年には交友の深いBASS ODYSSEYを4年振りに日本に招き全国10カ所を駆け巡るJAPAN TOURを無事に成功させる。
2016年8月にはJAMAICAで開催されたJAMAICA最大のSOUND FESTに日本代表として出場し、会場を大いに盛り上げた。
同年10月には横浜で開催された初の国際的SOUND CLASH JAPAN RUMBLEで見事優勝を果たし、2017年にTORONTOで行われるWORLD CLASHへの切符を手にし、初の海外でのSOUND CLASHで惜しくも負けはしたものの全世界にFUJIYAMAの名を知らしめた。
その後、海外でのBOOKINGSも増え、2018年11月にはGERMANYで開催されたSOUND CLASH WHO RUN THE WORLDで初のヨーロッパのCLASH参戦。敵地にも関わらず見事優勝を果たし初の海外タイトルを奪取。
2019年にStampが加入。
現在もMix CDなどをリリースしながら、日本と海外を股に掛け、更なる高みを目指し世界に挑戦している。
今も進化し続けるFUJIYAMA SOUND!是非現場で体感してもらいたい!
That’s why we seh DO ROAD!!

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FUJIYAMA SOUND DANCE情報

偶数月第4土曜
HALF WAY TREE at SKY JUICE 豊橋

2, 5, 8, 11月開催
FULL HOUSE at Imri 名古屋

1, 4, 7, 10月開催
ACTION at LUGGAGE 名古屋

7.27(土), 8/31(土) 開催
やすらげん at くらがり渓谷 岡崎


その他出演DANCE情報はWebsite
www.fujiyamasound.com
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