SUPERIOR SOUND が起こすセカンドウェーブ | DJ KEITA インタビュー

約4年半に及ぶニューヨークへの長期滞在を経て、SUPERIOR SOUND の元に DJ KEITA が帰ってきた。SUPERIOR SOUNDといえば JAPAN RUMBLE 2019 への出場や、海外のサウンドクラッシュでもトロフィーを勝ち取ったことで注目を集め、熱くユーモアのある MC の DAICHI、海外仕込みのジャンルレスな選曲やグルーブ感でフロアを沸かすセレクター SHOTTA の2人が日本のレゲエシーンに新たな波を巻き起こした。そして今年6月、セカンドウェーブを起こすため満を持して3人目のキーマンが日本へ帰国。「これからは国内のシーンを上げるために一役買いたい」と語る彼から、DJ を始めたキッカケやバックグラウンド、現地で過ごしたエピソードなどを聞かせてもらった。

– BUZZLE MAGAZINE(以下BM):まずは簡単な自己紹介からお願いします。

KEITA:SUPERIOR の DJ KEITA です!
バンドをやってた兄の影響で音楽にハマって、最初は兄に教えられた音楽をずっと聞いてました。当時はMONGOL800 とか GOING STEADY、19 とか。それがある日突然 RYO THE SKYWALKER や MIGHTY JAM ROCK に変わって、それが今度は洋楽になって EMINEM とか SEAN PAUL とか聴き始めるようになって。みたいな感じでずっと兄に影響されてたんですけど、気付いたら自分からレゲエとかヒップホップを好んで掘るようになりだしました。

– BM:そこから自身もレゲエサウンドをやろうと思ったキッカケなどはありましたか?

– KEITA:決め手になったのは、地元の先輩 BREAK JAM が優勝したサウンドクラッシュ「狼煙」の CD 聞いて、俺もやりたい!ってなって、高校の時に幼なじみとサウンドクルーを立ち上げて DJ を始めました。そのクルーの解散後に、ミナミで回してたレギュラーイベントで当時の SUPERIOR のセレクターをやってたヨッシーに誘われて、SUPERIOR に加入しました。

– BM:ニューヨークでの活動を始めたのはいつからですか?

– KEITA:2016年に DJ 修行も兼ねてニューヨークでの生活を始めて、ブルックリンを拠点にブロンクスやクイーンズの地元色の強いパーティーから、マンハッタンのアップタウンなパーティーまで色んな現場でプレイしてました。MC の DAICHI 君と2人でサウンドクラッシュにも参戦して、ブルックリンとフィラデルフィアの2つでトロフィーをゲットしました。

最初は何をするにもついていくので必死

– BM:プレイヤー全員が海外に長期滞在していたイメージの強い SUPERIOR ですが、住み始めた時はニューヨークにどんな印象を持っていましたか?

– KEITA移住したのが2016年の2月で、第一印象は「アカン、寒すぎ、エグい、死んでまう。」って感じでした。たしか大寒波の後かなんかで着いた日がマイナス10度とかやったんで、そこで一旦生きる自信無くしましたね(笑)あとは、相方の DAICHI 君が先にニューヨークに移住してて、最初はもう何するにもついていくので必死でした。当時はめっちゃクラッシュが盛んにやってて、毎週末どっかでビックサウンド同士がクラッシュやってるみたいな感じでした。もちろんジョグリンのパーティーも盛り上がってて、ちょうどソカとかが爆発的に流行り始めてて、掛けれないと DJ 変われってお姉ちゃんたちからブーイングもらうぐらいでしたね。

プレイスタイルは原型ないぐらい変わった

– BM:海外に長期滞在していた DJ の人たちは、最初は日本との DJ のスタイルの違いに戸惑うイメージなんですけど KEITA さんはどうでしたか?

– KEITADJ のプレイスタイルは、ニューヨークに行く前と比べたらほぼ原型ないぐらい変わったと思います(笑)日本で DJ してた時はホンマにペーペーやったんで、曲の掛け方、使い方を何も分かってなかったなと今になったら思いますね。この曲の掛け方では通用せんわ!て思ってからは、自分の出来る事の幅を増やす努力したり、今まで日本で作ってたプレイリストとかは全部消して、新しいの作ってはパーティーで試してってずっとやってました。

DAICHI 君が帰国後、1人になってからはマンハッタンでの営業が増えていきました。マンハッタンは色んな人種の人が1個のパーティーで遊ぶのと、客の入れ替わりが激しいので DJ するとき大事にしてたのは、どういう人種の人が多くて、今どんな曲が、どのジャンルが求められているか?っていうニーズを瞬時に判断しないといけないし、曲を知ってる音楽好きにウケる曲と、ふらっと遊びにきた一般客にウケる曲をしっかり理解して、バランスをとりながらどうやって曲を使うかがめっちゃ大事で、その中で自分のスタイル、好きな曲を活かすという感じです。

– BM:となると、ダンスホールメインじゃないプレイも多かったんですか?

– KEITAヒップホップとか *TOP 40がメインになってくるんやけど、やっぱりダンスホール出身なんで、ダンスホール掛けて踊らせたい!ってなるので、まずは鉄板インターナショナルヒットとかで様子見ながら当てにいく感じですね。DIWALI(RIDDIMの名前)にはめっちゃお世話になりましたね(笑)レゲエ、ダンスホールの土臭いグルーブ感は、やっぱハマった時どのジャンルにもないぐらいみんなが体揺れるので、改めて凄い力のある音楽やなと思いました。

*TOP 40 … アメリカの音楽シングルチャート、BILLBOARD TOP 100の中の上位40曲。

“NO BADMIND” て言葉を叩き込まれた

– BM:DJのみじゃなく、現地の人たちと関わることで気持ちの部分でも勉強になったなと思うことはありますか?

– KEITA移住して2年目ぐらい、ブロンクスの *PLATINUM KIDS がやってる「UNWIND THURSDAYS」っていう、その当時ブロンクスでは多分1番大きかったパーティーに通ってた時、僕らは全然アーリーの1発目、それも満足いくような時間まではやらせてもらえてなかった時やったんですけど。そのパーティーに日本から某帝冠サウンドがゲストで来た時に、一緒にパーティーやってるブロンクスの猛者たちがあの兄弟に向かって、「こいつらジャパニーズやけど、今日はジャパニーズサイドじゃなくて、こっちサイドやから。」って言ってもらえた時は、やっと HOOD から認められてきたんかなっていう感動でめっちゃ嬉しかったです。

それと、彼らからは “NO BADMIND” て言葉をめっちゃ叩き込まれましたね!頑張ってる人のこと絶対バカにしないし、応援するし出来る限りのことは助ける。それをずっと行動で見せられてきたし、実際そうしてるやつにしっかり人が付いてきてて、上にどんどん上がって行ってるのを目の当たりにしたので、自分もそうありたいと思いました。

*PLATINUM KIDS … WORLD CLASH への出場や、MIGHTY CROWN との共演経験もあるブロンクス出身のサウンド。

DUB でしか得られないリスペクトがある

– BM:SUPERIOR はジョグリンだけじゃなく、JAPAN RUMBLE への出場などクラッシュサウンドとしてのイメージも強いですが、海外でもサウンドクラッシュに出場してみての感想や、これから挑戦したいと考えている次世代に伝えたいことはありますか?

– KEITA自分らは他のクラッシュやるサウンドとかに比べたら全然 DUB も数持ってないので、出来ることやるって感じでした。1曲1曲を際立たせるって感じ。数が無いから、要所要所で絶対に盛り上がる波を作ることを意識してました。海外はブランニューの DUB は絶対ウケるから、そこは抑えたりとか。DAICHI 君と準備期間によく話してたんは、トークでオーディエンスから “YES(共感)”を稼ぐって事です。共感させれるようなことを振って “YES” って言わせて、そこに曲が来て、MAKE SENSE(MCと曲が繋がって)してドーンみたいな。正直、クラッシュにおいてセレクターの自分は曲を掛けるしかないし、オール DUB ならそんなに選曲も変えられないのでまだいいんですけど、MC はまず言葉の壁を越えて、さらに現地人に合わせた笑いのツボ押さえてとか、めっちゃ苦労するので皆さんうちの相方のこと褒めてあげて下さいね(笑)

あとは、自分より若い子たちには「絶対無理して DUB 取れ。」とは思わないですけど、DUB でしか得られないリスペクトや盛り上がり方ってやっぱりあるので、この文化は後世に残っていって欲しいですね。

– BM:DJ 以外にも、海外ならではの思い出に残っているエピソードはありますか?

– KEITA住み始めた時から、ブルックリンでずっとレギュラーでプレイしてた「HENNESSY TUESDAYS」ってパーティーで知り合ったプロモーターが、彼の故郷でもある南米唯一の英語圏の国ガイアナでツアーを組んでくれて DAICHI くんと一緒にプレイしに行きました。「HENNESSY TUESDAYS」にはガイアナの人がたくさん遊びに来てくれてたんで、現地で何か恩返しができないかってことで、チャリティ活動として小学校に文房具や衣服等を寄贈しました。

あとは、ライブを見に行った帰りにバスを待ってたら、10分後ぐらいにはそのライブ終わりの 50Cent が外装フルカスタムの黄金のオープンカーにギャルを乗せて、*Flatbush Ave を爆走してるの見て、アメリカンドリームってこれか!って思いましたね(笑)

*Flatbush Ave … ブルックリン地区を南北に通る大通り。

頑張っただけチャンスが転がってくる

– BM:最初の質問では住み始めた時のニューヨークの印象を聞きましたが、約5年間生活してみて今の印象はどうでしょうか?また1番勉強になったことはなんですか?

– KEITA世界と日本の文化の違いです。アメリカの中でもニューヨークはちょっと特殊な街で、ホンマにいろんな人種の人がいてるし、今まで聞いたことないような国の人とも仲良くなったりすることもあります。ほんで、その人らにはその人らの常識とか宗教があって、その異文化交流を経て世界との文化の違い、考え方の違いとかを聞いて、自分が思ってた常識の良い所も悪い所も知れたのは勉強になったと思うし、単純に自分の知らない世界のことを知れて楽しいので、それも海外生活の良い所やと思います!

長期で住んでみて思うことは、めっちゃ自由でめっちゃ楽しいけど、めっちゃストレスも溜まる街です(笑)出る杭を打つみたいなことがあんまなくて、むしろどんどん出ていったらんかい!的なとこがあるので、頑張ってる人には頑張っただけチャンスが転がってくるし、なんもせんかったら誰も見てくれないしひたすら落ちて行くって感じで、どの業界の人でもみんな一発カマしたろうて人が多いので、めっちゃ街からも人からもエナジーが溢れてます。ホンマに何するにも、自分次第で物事が良くも悪くも転ぶので、毎日生きるのに必死になります。
ホンマ *”New York City such a beautiful disease” です(笑)

*アメリカのシンガー Norah Jones の名曲「New York City」の歌詞からの引用。成功する人も多いが、その中で叶えられなかった夢もたくさんある、という街の現実を “Beautiful disease (美しい病)” という言葉を使って表現している。

ニューヨークでの経験値が自分の強み

– BM:4年半のニューヨーク生活から帰国して、今後はどのような活動をしていく予定ですか?

– KEITA今後は日本に拠点を移して、自分が海外でやってきた物をなるべく濃度を薄めずにお届けできればなと思いますが、やっぱり日本とニューヨークでは全然違うのも分かってるし、同じようにはいかないと思うんで、そこはしっかり調節していきたいですね。自分のプレイを見て海外のシーンに興味持って掘る人とか、海外これから行きたいって思ってもらえるように、どんどん発信していきたいです。あとは、日本に居ながらも海外のパーティーに呼ばれるようになっていきたいですね。最近はアジアのクラブシーンもすごく盛り上がってきているので興味あります。これからダンスホールもバリバリやりますし、どの国の人たちが相手でも、対応する選曲の幅やグルーブ、ニューヨークでの経験値が自分の強みやと思っているので、このインタビューで興味持ってくれた人がパーティーに呼んでくれたら嬉しいですね。

– BM:個性の強いメンバーが集まった SUPERIOR SOUND ですが、3人全員が国内で活動するとなると動き方も変わりそうですね。

– KEITA最近は、クルー的にプレイヤー3人でどう活動していくかってことをよく聞かれますね。3人で呼んでもらえるのが一番嬉しいことではありますが、現実的に無理な時もあると思うので、DAICHI くんと自分はニューヨークで、SHOTTA はジャマイカで修行してたので、選曲もスタイルも違うと思うし、そこはプロモーターの人の好みやと思うので、各々の見たい SUPERIOR の形で呼んでいただければと思ってます。呼ばれた際には、我々一同現場を盛り上げる事に全力を尽くします!

– BM:貴重なお話ありがとうございました。最後に、当マガジンの読者のみなさんにメッセージで締めてもらってもいいでしょうか

– KEITA最後まで読んでいただきありがとうございました!自分が帰国して、これから SUPERIOR にも日本のシーンにも良い影響をどんどん与えていけるように頑張っていきますので、こんな世の中ですが全員で日本の音楽シーンを上げていけたらいいなと思ってます。

これからも SUPERIOR 共々チェックよろしくお願いします!

DJ KEITA from SUPERIOR

【Instagram】@keita_superior
【Twitter】@Keita_Superior

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