沖縄のアイデンティティを歌い続けた21年の軌跡 | U-DOU&PLATY 解散直前インタビュー

沖縄をレペゼンする2人組のDeejayユニットU-DOU & PLATY(ユードウ・アンド・プラティ)。地元の声を代弁する音楽はレゲエシーンの枠を越え多くの県民に愛され、そして海をも越えてメジャーレーベルから全国デビューも果たした。90年代から活躍を続けてきた彼らだが、2020年11月、解散という驚きのニュースを突如発表した。ユニットでの最後となるライブを直前に控えた2人にBUZZLEMAGAZINEが緊急インタビューを敢行。沖縄の音楽シーンを支え続けたレジェンドたちの21年の軌跡に迫る。

ずっと声がかれるまで歌った

BUZZLE MAGAZINE(以下BM):21年間という長い間レゲエシーンに携わられていますが、レゲエにのめり込んだキッカケは何だったんですか?

U-DOU音楽自体を聞き始めたのがジャズ好きのオヤジの影響で、オヤジが聴いている音楽の中にレゲエもあって、おもしろいなーって思ってて。んで小学校6年生くらいのときにCD借りに行ってから。当時のレゲエコーナってアルバム2、3枚しかなかったんだけど、そこでタイガー (Tiger) とかスーパーキャット (Super Cat) とか借りたね。

PLATY俺の場合はアニキの影響でユニコーン (Unicorn) とかブルーハーツ (The Blue Hearts)とか聴いていたんだけど、中学校1年の時にアニキがタイガーとかスーパーキャットのアルバムを買ってきてくれて、そっからどっぷり聴いてるね。

U-DOUもうホントに一緒だね。聴いてるCDも一緒だと思うよ。タイガーの『Claws Of The Cat』とスーパーキャットの『Don Dada』。

PLATY忘れもしない、遠足のバスの中で俺の権力でしに全開の音出してタイガー聴いていた(笑)

− BM:お二人の出会いはいつだったんですか?

PLATY出会ったのは19くらいの時で、お互いの共通の先輩がいたわけよ。それで恩納村っていうところのコテージで一緒にパーティーしてて。

U-DOU自分たちでタンテとスピーカー持っていって。

PLATYダンスまがい、男しかいないよ(笑) そこでめっちゃ印象残っているのが、U-DOUが足引ずって部屋に入ってきて、キンマニっていうクラブで喧嘩してきてから。ボコボコにされてて「えーやられたよやー。」とか言ってた(笑)

U-DOU覚えないやっさ(笑)

PLATYそれからバナナジャマイカっていう沖縄のレゲエの礎を築いたマニアックなバーがあって、50名収容したらパンパンみたいな。俺はアニキの影響もあってそこでセレクターしてたんだけど、その時からU-DOUは歌いたいって言ってた。

U-DOU過去だったらアキソル (Ackee & Saltfish) とかビーニ・マン (Beenie Man) とか、ニンジャマン (Ninjaman) にタイガーも来てる。三木道三も来てたね。

PLATY俺たちの青春時代を築いた練習場だった。徐々にセレクターから歌いたいと思ってやり始めて、色々揉まれたね。あそこがなかったら今の俺たちはいない。

U-DOUバナナジャマイカは毎週水曜日が定休日で、その日にみんな集まってGRI GRIさんが色々教えてくれた。1年間は続けていたんじゃないかな

PLATYあの人はDEEJAYじゃないからテクニックとかじゃなくて、歌い手としてのバイブスを教えてもらった(笑) 面白かったよ。

U-DOUずっと声がかれるまで歌ったな。

PLATYもう部活動だよね(笑) それくらい必死にやってた。KING RYUKYUの時代さ。

沖縄のアイデンティティを大切に

− BM:U-DOU & PLATYとしてコンビでの活動を始めたのはいつからなんですか?

U-DOUGRI GRIさんの薦めで2人で歌うことに決めたね。でも、今の沖縄のアイデンティティを盛り込んだスタイルはBPさんがいたからこそ出来上がった。クラったね。

*BP …90年代から数々のヒットを生み出した日本のレゲエシーンを代表する伝説のレーベル JAP jam INTERNATIONALの名プロデューサー

− BM:当時はBPさんがプロデュースしてくれていたんですか?

U-DOUアルバムとかは全部。とってもすごい人なんだよ、レゲエのパイプとかすごくて。あの人に会った時に、「お前たち絶対にメジャーまで連れて行くからよ。」って言われて。メジャーに行かせたら俺の仕事終わりって言ってて、ちゃんと全部守りよったね。

− PLATYMIKOっていう名古屋のアーティストのお父さんなんだよ。アキソルとかと長くジャマイカ居たはず。三木道三とか、日本のレゲエシーンで知らない人はいない。

− BM:BPさんと出会って、どういう経緯で今のスタイルが確立されたんですか?

PLATY当時俺たちは分からんかったけど、沖縄のアイデンティティとか考えたほうがいいよって言ってて。おれがパーティーチューンやりましょうって言ったら、「PLATY、違うぜ。レゲエっていうのはレベルミュージックだから問題提議してナンボだぜ。」って言われて、やったら当たったわけ。沖縄の人の心を少数だけど掴んで、色々共感してくれる人がいて。

U-DOU1枚目に『Represent』っていうカセット出したんだけど、なかなか全国で売れて。当時沖縄なのに横浜新聞とかに取り上げられてさ。でもそれBPさんに面白くないって言われたからね(笑) 「違うぞ、もっと地元に根ざした音楽作れ。」って。全国に無いことを沖縄のノリで発信するのはお前らの使命だよって。

PLATY普段使ってる言葉使えとかね。「ジャマイカンスタイル! ジャマイカ人見てみ。あれたち自分たちの言葉使ってるだろ。」って。衝撃だったよな。

U-DOU衝撃だったね(笑) 当時東京とか目指してるアーティストたくさんいたけど、もっと沖縄のアイデンティティは大切にしないといけないっていうのを教えてくれたのはBPさんだった。

PLATYリリックも最初らへんは3人で作ってた。みんなで泊まり込みで集まってから、ルード・ボーイ・フェイス (Rude Bwoy Face) も来てたよ。めちゃくちゃ田舎の今帰仁にあるスタジオに(笑)

U-DOU今となったらいい思い出だよね。

PLATYいい思い出。一生忘れない。

U-DOUそれでBPさんがゴールドディスクとか獲ってるスティーブン・スタンレー (Steven Stanle) っていうエンジニアを紹介してくれて。シャバ (Shabba Ranks) とかココティー (Cocoa Tea) とかジェントルマン (Gentleman) とか。今帰仁でできた曲をジャマイカに持っていって。

PLATY俺たちは未熟だけど、トップエンジニアにやってもらってた。これは墓場まで持っていく。この先できるかも分からないような人だから。ファーストからメジャーで出したアルバムまで、ほとんど全部お願いしたね。ホント仕事が丁寧で1曲に1日中時間かけるし、必ず3パターン作ってくれたしね。

BM:全国でも有名になってメジャーデビューを果たしたキッカケってなんだったんですか?

U-DOU俺たち全国では有名にはなっていないよ。

PLATY俺たちが自負しているのは、沖縄ではウケてる。めちゃくちゃ。メジャーでCDリリースしたら細かく地域別とかでデータが表示されるんだけど、沖縄だけ規格外の数字だわけさ(笑) こいつら何なんだってことで他の大手レーベルからも話しもらって。Victor(ビクター)いったり、avex(エイベックス)からアルバムリリースしたりした。俺たちは地元で愛されたわけ。

U-DOUめちゃくちゃ嬉しいよ、県民に愛されるのは。

PLATYアイデンティティを教えてもらったから、BPさんには。俺も今日当時の曲を聴き直したけどさ、でーじいい作品ばっかり。めちゃくちゃ成長過程の曲もあるけど、今になって聴いたら響く歌詞もたくさんある。今歌えるかーって言われたら歌えんだろうけど、たぶん(笑) でも、そういうこと考えてたんだなーとか、色んな思い出もある。U-DOUとジャマイカ行ったやっさーとか、くにひゃーレシートしか集めてなかったやっさーとか(笑)こういうのを思い出したら、また次も頑張らんといけんなーとか思ったり。

県民の心を掴んだ

− BM:今でも自身の背中を押してくれるような曲ってありますか?

U-DOU:俺は『さらば涙と言おう feat. アルベルト城間』かな。

PLATY俺は『For di Future feat. かりゆし58』かな。でも1番は『クユイヌハナシ』だな! あれがU-DOU & PLATYっていうイメージを作り上げてるからね。

− BM:お二人の代表作でもある『クユイヌハナシ』の制作秘話などあれば聞かせてもらいたいです。

PLATYまず『オキナワノープロブレム』っていう曲があって。この曲はメジャーから出たコンピレーションアルバムの中の1曲なんだけど、沖縄のタワレコでシングルカットして1000枚限定でリリースされたわけ。結局売れまくって5000枚売れたんだけど。それと同じ日に『クユイヌハナシ』を販売して、こっちは完全インディーズのスティング・ミュージック (Sting Muzik) だけど同じ枚数売れたわけさ。

U-DOUちょっと自慢だけど、沖縄新聞にタワレコのCDランキング出るんだけど、毎週1位獲ってた。2位浜崎あゆみ、1位U-DOU & PLATYみたいな(笑) それくらい県民に愛されていたわけ。

PLATY俺たちはBPさんに言われてレベルミュージックやって、県民の心を掴んだわけ。BPさんは俺たちがやるべきことを見据えて曲を作ってくれた。

U-DOUBPさんも鼻高いはずよ。ゆっただろ〜みたいな(笑) やってもらったことはいっぱいあって、全部経験させてもらったね。

− BM:お二人のライブパフォーマンスは、大きなフェスでも小箱でも盛り上げられるまたレゲエというジャンルを知らなくても楽しめるエンターテイメント性に富んでいると思うんですが、そのスタイル確立したキッカケはありますか?

PLATYバナナジャマイカでGRIさんが言ったのは、人数とか関係なくやったーDEEJAYはバイブスを伝えないといけない、「アクターズとかアイドルじゃないんだから、自分の持ってるスタイルを伝えるのがジャメイカンなんだ!」っていうのを若かりし頃に洗脳されているかのごとく教えられていた(笑) あの時しに真剣だったよな俺たち。ボスらないのは一生懸命にやってるかやってないかって言われていたね(笑)

U-DOU楽しんでやろうっていうのと、バイブス。

PLATYバイブスだな! 極端な話、客ゼロでも本気でやれって。

U-DOUだって最初1人とか2人とかだったもんな。

PLATYタイムテーブル決められてお前たちの時間としてもらったんだから、客いなくてもやれ。全部100パーでやれ。これがプロだぞ、これがDEEJAYだぞって。客が1人2人でもガンガンやった。

U-DOUフェスのショーと何も変わらない。でもその1人が2人呼んで、3人呼んで、ってやっていったね。その気持ちは今でも変わらない。

PLATYだからこうやってU-DOUと離れても、忘れてはいけない基礎中の基礎だよ。

全てのことがスペシャルで胸が熱くなる

− BM:今回、お二人の突然の解散のニュースを聞いたときは驚きでしたが決めたタイミングはいつですか?

U-DOUついこの間(笑)

PLATYそういう話をしたのは初めてで。はっきり言ったら、おれもU-DOUに頼ってるところもあったし、お互い個々でも上手くできたらいいねーって。俺からしたらでーじ頼ってる部分があったから。でもソロだったら自分の責任は自分で問わないといけないから、それをもう一回勉強してみようかなって。それでオッケーってなって、すぐ翌日SNSにあげた。

U-DOUみんな「喧嘩したの?」って聞いてくるけど(笑) 

PLATY昔からしに喧嘩してる、この関係性は変わらない(笑) 俺はU-DOUのいいところまで分かるし、U-DOUは俺のいいところ知ってるから、 一生変わらない。お互いソロで活動したときに、U-DOUが頑張ってたらその分俺も頑張るさ。

− BM:切磋琢磨できますよね。

PLATY:お互いがソロになってから勝負じゃない。そんなして高めあって、10年後とかもっとおっさんになった時にU-DOU&PLATYでコンビネーション出来たらカッコいいんじゃない?

U-DOUでも遊ぶところ一緒だからな(笑)

PLATY毎週会うからそんな変わらんだろ。

− BM:ずっと沖縄のシーンの最前線で活躍されてきて、これから活躍する後輩に託したいものはありますか?

U-DOUもっと沖縄のシーンを上げてほしい。沖縄ではユープラはしに高いハードルだと思うけど、超えてほしい。

PLATYそれを超えるような異端児が増えてほしい。沖縄のニューヒーローが必要だと思う。その代わり俺たちも頑張るから。

U-DOU超えてほしいね。ユースに頑張ってほしいすJUICY MAN, NEW MAN, YAMATO HAZEたちに。

− BM:コンビでの21年間振り返って、今でも胸が熱くなるような思い出ってありますか?

U-DOUおれはBPと3人で曲作ってた時かな。クユイヌハナシオキナワノープロブレム』作ってたときとか、いっぱいあるよ。

PLATYもういっぱいある。ありすぎて分からんな。走馬燈のよう思い出すけど、全部がスペシャル。一緒にジャマイカ行った時、一緒に曲作った時、一緒に喧嘩した時、全部がスペシャルだな。

波フェスは今までの集大成

− BM:11月21日の「波の上フェスティバル2020」がU-DOU&PLATYとして最後のライブとなりますが、どういった想いですか?

U-DOUユープラ劇場でしょ(笑)

PLATY21年間で1番いいステージ見せられると思う。波フェスは今までの集大成が見れると思うよ。分からんけど(笑)

U-DOUステージ自体はいつもの感じだと思うよ。俺たち逆に何かしようとすると固まるから(笑)

PLATYいつもの感じよ、いつもの感じ。

PLATY:まぁ、いきなり特別の年にはなったよな!

U-DOUインスタとかツイッターのコメント見たらホントに愛されてたんだなって思う。

PLATYホントそれは思う。ありがとう。

U-DOU最後はファンのために頑張ります。CD買ってください (笑)

波の上フェスティバル2020
・Instagram (@namifesssss)
・オンライン配信(VirtuaRAW
・チケット販売(“波の上フェスティバル2020″で検索

− BM:それでは最後に、BUZZLE MAGAZINEを見てくれている読者の皆さんに一言お願いします。

PLATYお互いソロになるんですが、関係性は変わらずゆっくり頑張りますので、沖縄のレゲエシーンもっと楽しくなるので見ててください! U-DOUとPLATYが違うスタイルで盛り上げます!

U-DOUU-DOU&PLATYがやってきたみんな手を上げこんばんわ!

U-DOU & PLATY

ガジュマルの似合う沖縄市出身のU-DOUと、サトウキビ畑が広がる東風平町(こちんだちょう)出身のPLATYの2人組Dee-Jayユニット。通称“ユープラ”、故郷をこよなく愛する生粋のウチナンチュー(沖縄人)だ。南国特有のあっけらかんとした底抜けの明るさで、沖縄で生活するフツーの男子の気持ちを普段から使ってる言葉・ウチナーグチを用いてダンスホールレゲエスタイルで唄う。沖縄音楽のエッセンスも取り入れたこのスタイルは唯一無二。その世界観は環境・基地問題と沖縄のシビアな現状にまで広く及ぶ。

U-DOU

Original Ryukyu Ragga Deejay
98年から地元沖縄で活動。
巧みなウチナーグチと日本語、そしてパトワ語を織り交ぜたトリリンガルなスタイルで盟友Platyと共にインディーズ、メジャーを経験。その名を全国に轟かせる。
17年ソロとしての初のミニアルバムRevolutionをリリース。リード曲”Bun a Fire”は90’sを代表するレゲエDeejay Tigerのスタイルを継承し、玄人からレゲエに聞き馴染みのない世代まで幅広いリスナーに支持される一曲。
前身のPOW!POW!THURSDAYを含めると14年継続しているRUB A DUB FRIDAY。
その沖縄を代表するイベントでは校長という役職を務め、沖縄のラバダブ教育に力を注いでいる。
自らの土壌を愛し表現する彼の音楽活動に今後も目が離せない。

PLATY

サトウキビ畑の広がる八重瀬町(やえせちょう)出身のPLATY(プラティ )、青い空と庭 のように広がる青い海を眺めて育った故郷をこよなく愛する生粋のウチナーンチュ (沖縄人)のReggae DeeJay。ダンスホール・レゲエの黄金期を形成したジャマイカのス ター SUPER CAT、TIGERに強く影響を受け、98年よりReggaeDeeJayとしての活動 を開始。今は無き伝説のクラブ「バナナジャマイカ」でマイクを握り、01年コンピレー ションCD『RODEO CAAN DONE』(cutting edge)に2曲提供しCDデビュー。03年に は初のU-DOU&PLATY名義でシングル『オキナワノープロブレム』(cutting edge)と『クユイヌハナシ」(STING MUZIK)の2枚のシングルをリリース。後者は沖縄県内イン ディーズチャートで1位を獲得し、以後発売された2枚のシングル『チンサーグー』『WANT YOU BACK』(共にSTING MUZIK)も同じく1位を記録。南国特有のあっけら かんとしたそこぬけの明るさで、沖縄に生きるフツーの若者の気持ちを、時にウチナー グチ(沖縄言葉)を用いながらも、あくまで「普段から使ってる言葉」で沖縄音楽のエッセ ンスをダンスホール・レゲエに取り入れたこのスタイルはまさにOnly one。そしてその 歌詞の世界観は環境・基地など社会問題をはじめ”ウチナー VIBES”に溢れたリリック でウチナーンチュ(沖縄人)の心を代弁し、レゲエを通して日本全国へ届けている。メ ジャーレーベルより『Vibes Up』『Big UP』『Buss UP』『RISE UP』と4枚のアルバム をリリース。それらは県内CDショップにて軒並み1位を記録する。2015には初のセル フ プ ロ デ ュ ー ス で5枚 目 のALBUM『HOOK UP』を リ リ ー ス し た。以 後 U-DOU&PLATYはお互いのソロ活動や制作を精力的に行い、2017年相棒のU-DOU が初のソロEP『REVORUTION』をリリース、そこから約2年の令和元年・新時代に満を 持してPLATYが1st ALBUM「NEW ERA」を完成させた。

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